Min'yōとは
日本各地それぞれの風土・気候・暮らしの中から自然発生的に生まれてきた、生活に根ざした伝統的な歌の総称。元来は無伴奏の労作歌が多く、三味線などの伴奏は江戸時代から付加された(和楽器を加えるかどうかは任意)。声を細かく震わせたり装飾的
日本各地それぞれの風土・気候・暮らしの中から自然発生的に生まれてきた、生活に根ざした伝統的な歌の総称。元来は無伴奏の労作歌が多く、三味線などの伴奏は江戸時代から付加された(和楽器を加えるかどうかは任意)。声を細かく震わせたり装飾的に揺らしたりする「こぶし」を効かせて歌う、独特の歌唱法が特徴である。民謡に特有の「民謡音階」(二六抜き短音階。短音階の2番目と6番目の音を抜いた5音音階で、ペンタトニックの一種)によるメロディーが、日本人が「和風」と感じる哀愁と素朴さを生み出している。西洋の7音階から4番目(ファ)と7番目(シ)を抜いた「ヨナ抜き音階」は、明治以降に唱歌や歌謡曲を通じて定着した5音音階で、民謡音階と構成音は同じで、主音(中心音)が異なる。田植えや漁の際に歌われた労働歌、祭りで歌われる歌、酒の席を盛り上げる歌など、それぞれの土地の暮らしと分かちがたく結びついた歌が、地域ごとに世代を超えて受け継がれてきた、日本音楽の最も深い根っこにあたる存在である。木材を運び動かす作業や地固めの現場で、掛け声として力を合わせるために歌われた「木遣り」、夏祭りの輪踊りで歌われる「盆踊り唄」など、労働や祭祀の実用的な必要性から生まれた歌が多いことも特徴で、単なる娯楽ではなく共同体の営みそのものと結びついてきた。
成り立ち
民謡は特定の作者を持たず、労働や祭りの現場で世代から世代へ口伝えされてきた歌の総称であり、その起源は文字記録以前にさかのぼるとされる(ただし「民謡」という語と概念そのものは、ドイツ語のVolkslied(ヘルダー、1773年)の訳語として明治中期に作られた近代のものである)。田植えの田植唄、木を伐り出す木挽唄、船を漕ぐ舟唄、糸を紡ぐ機織唄のように、作業の動作そのものがリズムを決めていた。中世から近世にかけては、盲目の女性芸能者である瞽女や、家々を回って唄う門付芸人が、地域を越えて歌を運ぶ役割を果たした。江戸時代には北前船の往来に沿って歌が伝わったともいわれ、九州の「ハイヤ節」(発祥には諸説あり、平戸田助説と天草・牛深説がある)が日本海側を北上して佐渡の「佐渡おけさ」や津軽の唄へ姿を変えていったことが知られている。近代に入ると、民謡は消えゆくものとして記録の対象になる。柳田國男が民俗学の立場から採集を進め、邦楽研究家の町田佳聲(本名・町田嘉章)は全国を回って旋律を五線譜に採り、後にNHKと共同で大規模な民謡調査を行った。1920年代からはレコード会社が民謡を商品として録音するようになり、地域の唄が全国の家庭で聴かれるようになる。三味線などの伴奏は江戸時代から付加され、後代にも付加が続いた。第二次世界大戦後、1950年代から60年代にかけて民謡ブームが起き、三橋美智也が民謡歌手として出発して歌謡曲の大スターとなり、津軽三味線では高橋竹山が門付けの芸を独奏芸術へと高めた。東京の上野・浅草界隈には昭和30年代に100軒以上の民謡酒場があったとされ、日本民謡協会などの団体が競技大会を運営したことで、唄はうまさを競うものという側面を持つようになる。一方で高度経済成長による農村の解体は、唄が本来鳴っていた労働と祭りの現場そのものを消し去った。現在の民謡は保存会と教室、コンクール、観光の場で受け継がれる形が主流だが、吉田兄弟のように津軽三味線を現代的な文脈へ持ち出す動きも続いている。
代表曲
- 島唄 (THE BOOM)
- ソーラン節
- 炭坑節 (三橋美智也)
- 花笠音頭
- 相馬盆唄 (三橋美智也)
- 津軽じょんがら節 (長山洋子)
- 安里屋ユンタ (夏川りみ)
- 谷茶前 (知名定男)
- 黒田節 (ビクター少年民謡会)
- 木曽節 (三橋美智也)
- 斎太郎節 (三橋美智也)
- 江差追分 (三橋美智也)
ルーツ(影響を受けたジャンル)
Gagaku
影響を与えたジャンル
Enka、 Trot
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