Turkish Pop(トルコポップ)とは
トルコで作られる大衆音楽のまとめた呼び名であり、西洋のポップスの構造と、この土地独自のメロディーと拍の取り方が混ざり合っている点に特徴がある。メロディーには、オスマン帝国以来の古典音楽で使われてきた旋法の仕組みが生きており、増2度
トルコで作られる大衆音楽のまとめた呼び名であり、西洋のポップスの構造と、この土地独自のメロディーと拍の取り方が混ざり合っている点に特徴がある。メロディーには、オスマン帝国以来の古典音楽で使われてきた旋法の仕組みが生きており、増2度を含む音階や、四分音に近い微細な音程(トルコの理論ではオクターブを53のコンマに分けて測る)が現れる。この、西洋の長調・短調では説明できない音の運びが、明るい編曲の中にも独特の哀感をもたらす。歌唱では一音を細かく揺らして装飾する技法が多用され、感情を大きく揺さぶる歌い上げが好まれる。リズムには、2拍と3拍を組み合わせた不均等な拍の取り方が使われることがあり、9/8拍子を二二二三と数える型もトルコの民俗音楽や舞曲の典型として、ポップスにも使われることがある。この足を引きずるような独特の躍動は、踊りと直結している。楽器では、シンセサイザーと打ち込みの現代的な土台の上に、長い棹の撥弦楽器バーラマ、杯の形をした片面太鼓ダルブカ、そして時に管楽器や大人数の弦楽合奏が重ねられる。この、電子音と伝統楽器を同じ並びに置く組み合わせこそが、この分野ならではの音の特徴である。歌詞は恋愛、別れ、都会での孤独、そして時に社会的な主題を扱い、詩的な比喩が重んじられる。
成り立ち
1923年に成立したトルコ共和国は、建国者Mustafa Kemal Atatürkのもとで徹底した西洋化の政策を進め、オスマン以来の古典音楽は一時ラジオ放送から締め出された。国家は西洋の多声音楽を国民に教育しようとしたが、人々は隣国からの放送でアラブ音楽を聴き続けた。この上からの近代化と、下からの土着の嗜好とのねじれが、この国のポップスのずっと流れ続ける底流となる。1960年代には、西洋のヒット曲にトルコ語の歌詞を付けて歌う様式が流行し、Ajda Pekkanらが人気を得た。同時期、Barış Mançoらは西洋のロックに土着の楽器と旋法を持ち込むアナドル・ロックを試みている。1950年代から続いた農村から大都市への大規模な人口移動の中で、1960年代末に、都市の周縁に住み着いた人々の情感を代弁する音楽(アラベスク)が生まれ、1970年代に広まった。Orhan Gencebay(本人はこの呼称を拒否している)を代表的な歌手の一人とするこの様式は、運命への諦念と嘆きを歌い、乗り合いバスや安食堂で鳴り響いたが、国営の放送で長く放送を制限された。1980年1月の経済安定化措置を起点に、同年の軍事クーデター後も経済の自由化が進み、1990年代に民間放送が解禁されると、音楽産業は一気に拡大する。この時代の中心にいたのがSezen Aksuである。彼女は自ら歌うだけでなく、無数の若い歌手に楽曲を書き、育成し、トルコ的な旋律と現代的な編曲を結合させる方法を確立した。Sezen Aksuが楽曲を提供したTarkanは、1997年にトルコで発表した「Şımarık」が1998〜99年に欧州でヒットし、トルコ語詞のポップスの代表的な国際的成功例となる。2003年にはSertab Erenerが欧州の歌謡祭典で優勝し、国民的な祝賀となった。近年は、伝統的な旋法とヒップホップやトラップを結合させる若い世代が現れ、また移民として欧州に暮らすトルコ系の作り手が独自の潮流を形成している。一方で、表現の自由をめぐる状況は厳しく、歌詞や発言を理由に法的な追及を受ける音楽家も出ており、Sezen Aksu自身も歌詞をめぐって政治的な非難の対象となったことがある。
代表曲
- Dudu (Tarkan)
- Kuzu Kuzu (Tarkan)
- Yolla (Tarkan)
- Şımarık(Tarkan)
- Kış Güneşi (Tarkan)
- Sen Ağlama (Sezen Aksu)
- Düm Tek Tek(Hadise)
- Geri Dön(Sezen Aksu)
- Gülümse (Sezen Aksu)
- Yeni Biri (Gülşen)
- Aya Benzer (Mustafa Sandal)
ルーツ(影響を受けたジャンル)
Arabic Pop、 Pop
影響を与えたジャンル
Anatolian Rock
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