Zydeco(ザディコ)とは
アメリカ南部ルイジアナ州南西部の、フランス語を話す黒人クレオールの共同体で発達した踊りのための音楽である。同じ地域の白人によるケイジャン音楽とは担い手が異なるが、両者は多くの曲を共有し、互いに借り合ってきた。編成の中心は蛇腹式の手
アメリカ南部ルイジアナ州南西部の、フランス語を話す黒人クレオールの共同体で発達した踊りのための音楽である。同じ地域の白人によるケイジャン音楽とは担い手が異なるが、両者は多くの曲を共有し、互いに借り合ってきた。編成の中心は蛇腹式の手風琴で、鍵盤式(Clifton ChenierやBuckwheat Zydecoらの系統)とボタン式(Boozoo Chavisらの系統)の二つの流れがある。もうひとつの象徴が、波型に加工された金属の板を胸に吊るし、栓抜きや匙で擦る打楽器である。これは洗濯板を改造したもので、1946年にClifton Chenierが設計し、金属加工職人のWillie Landryが作ったとされる。奏者は両手で複雑なリズムを刻み、全身を使って演奏する。加えてドラム、エレクトリックギター、低音楽器が入り、時に管楽器も加わる。リズムはブルースとリズム・アンド・ブルースの影響を強く受け、跳ねた刻みと、拍の裏を強調する並べ方が特徴である。テンポはケイジャン音楽より明らかに速い。歌唱はフランス語のクレオール、あるいは英語で、力強く叫ぶように歌われる。歌詞は恋愛、労働、食べ物、そして地域の出来事を扱う。
成り立ち
この音楽を生んだのは、ルイジアナ州の黒人クレオールと呼ばれる人々である。彼らはフランス植民地期に遡る歴史を持ち、フランス語系の言語を話しながら、アフリカ系の文化的な背景を持っていた。19世紀から20世紀にかけて、この地域では、白人のケイジャン、黒人のクレオール、そして英語話者が隣接して暮らし、音楽を交換していた。初期の重要な人物がAmédé Ardoinである。彼は1929年から1934年にかけて録音を残した最初期の黒人クレオールの手風琴奏者であり、その旋律の多くは現在も演奏されている。しかし彼の生涯は残酷に終わった。伝承によれば、約1939年、白人の集まりで演奏していた際に人種的な動機の暴行を受けたとされるが、死因を含め確定していない。1942年9月に州立の精神病院(Pineville)に入り、同年11月3日に死去した。この伝承は、当時の南部の人種秩序の暴力性を示すものとして語り継がれている。一つの様式としてのズデコを確立したのはClifton Chenierである。彼は1950年代から、この地域の伝統的な旋律に、テキサスやルイジアナのブルースとリズム・アンド・ブルースを大胆に取り込み、鍵盤式の手風琴と電気楽器による現代的な編成を作り上げた。彼は自らをこの音楽の王と称し、1984年にはグラミー賞(Best Ethnic or Traditional Folk Recording)を『I'm Here』で受賞している。金属の洗濯板を胸に吊るす形の打楽器も、彼と兄弟が金属加工の職人に依頼して作らせたものだと伝えられる。名称の由来は不確かで、有力視される説は、豆に塩気がないという意味のフランス語の言い回しが、貧しさを表す慣用句だったことに遡るというものである。他に西アフリカ起源説もある。1980年代以降、Buckwheat ZydecoやBoozoo Chavisが国際的に活動し、現在も土曜の夜の踊りの場で生きた音楽として演奏され続けている。
代表曲
- My Toot Toot (Rockin' Sidney)
- Ma 'Tit Fille (Buckwheat Zydeco)
- Hot Tamale Baby (Buckwheat Zydeco)
- Dog Hill (Boozoo Chavis)
- The Louisiana Two Step (Rockin' Dopsie & The Zydeco Twisters)
- Paper in My Shoe (Boozoo Chavis)
- Zydeco Sont Pas Salés (Clifton Chenier)
- Zydeco (Queen Ida)
- Hot Rod (Clifton Chenier)
- Give Him Cornbread (Beau Jocque)
- Tu Le Ton Son Ton (Clifton Chenier)
- Bogalusa Boogie (Clifton Chenier)
ルーツ(影響を受けたジャンル)
Blues、 Cajun
影響を与えたジャンル
Blues、 Cajun
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