Cajun(ケイジャン)とは
アメリカ・ルイジアナ州南部の、フランス語を話す白人の共同体で受け継がれてきた音楽である。編成の中心はボタン式の全音階手風琴で、一つの調しか出せない単純な構造を持つ。この制約が、旋律を単純で力強いものに保っている。もうひとつの主役が
アメリカ・ルイジアナ州南部の、フランス語を話す白人の共同体で受け継がれてきた音楽である。編成の中心はボタン式の全音階手風琴で、一つの調しか出せない単純な構造を持つ。この制約が、旋律を単純で力強いものに保っている。もうひとつの主役がフィドルで、しばしば2本用いられ、一方が旋律を弾き、もう一方が低い音域で伴奏の部分(スコンド)を弾いて支える。加えて三角形の金属の打楽器が細かい刻みを保ち、ギターが和音を刻む。1930〜40年代にウエスタン・スウィング由来のドラムとスティールギターが加わった編成が入り、現在はよく使われる。曲種は大きく二つで、緩やかな3拍子のワルツと、跳ねた2拍子の踊りの曲である。テンポは中庸で、ツーステップは速い曲とされる。和声は単純な三和音の循環が中心である。歌唱がこの音楽の情感を担う。高く張り詰めた鼻にかかる声で、しばしば裏声へ跳ね上がりながら、絞り出すように歌われる。歌詞は失恋、貧困、家族との別れ、そして酒場での夜を、この地方特有のフランス語で歌う。
成り立ち
この共同体の歴史は、18世紀の強制移住に始まる。現在のカナダ東部にあたる地域に入植していたフランス系の農民たちは、英仏の抗争の中でイギリスの支配下に置かれ、1755年から1764年までの約9年間にわたって土地を追われた。家族は引き裂かれ、船に詰め込まれて各地へ散らされ、多数が航海中に死亡している。生き残った者の一部が辿り着いたのが、当時スペイン領だったルイジアナの湿地帯だった。彼らは沼地と草原で自給的な生活を築き、この音楽は、アカディア由来のバラッドに、複数の伝統が混ざってルイジアナで形成された。この音楽の性格を決めたのは、19世紀後半に導入された手風琴である(導入の経路は諸説)。安価で丈夫なこの楽器は、1920年代にフィドルと同じ調の楽器が入手できるようになって急速に普及した。1928年、Joe Falconと、のちの妻Cléoma Breauxによる録音(4月27日、Columbia)が行われ、これが最初の商業録音と考えられている。しかし20世紀前半、この共同体は深刻な文化的抑圧に直面した。1921年の州憲法が公立学校での英語使用を義務づけ、学校の運用でフランス語が事実上禁止・処罰され、子どもたちは母語を話しただけで体罰を受けた。その結果、言語は世代間で断絶し、話者は急速に減少する。音楽も、田舎者の恥ずべき文化として軽んじられ、若者はアメリカの流行歌へ流れた。転機は1964年である。この年、Dewey Balfa、Gladius Thibodeaux、Louis「Vinesse」LeJeuneの3人が、ルイジアナの代表として、東部で開かれた大規模なフォークの音楽祭(Newport Folk Festival)に出演し、1万7千人を超える聴衆から熱狂的な喝采を受けた。Balfaは、この反応をきっかけに、翌1965年にBalfa Brothers Bandを設立した(兄弟での演奏活動自体は1940年代から)。故郷では見下されていた音楽が外部で賞賛されたという経験は、共同体の自己認識を一変させる。彼は帰郷後、この音楽と言語の復興に生涯を捧げた。1968年には州の機関が設立され、フランス語教育が再開される。現在、言語の話者は依然として減少しているが、音楽は若い世代によって受け継がれている。
代表曲
- La Porte d'en Arrière (D.L. Menard)
- Jolie Blonde (Harry Choates)
- Allons à Lafayette (Joe Falcon)
- Diggy Liggy Lo (Doug Kershaw)
- Les Flammes d'Enfer (The Balfa Brothers)
- Disco et fais do-do (Bruce Daigrepont)
- Love Bridge Waltz (Iry LeJeune)
- P'tit Galop pour Mamou (Michael Doucet)
- Calcasieu Waltz (Iry LeJeune)
- Allons danser Colinda (BeauSoleil)
ルーツ(影響を受けたジャンル)
Zydeco
影響を与えたジャンル
Zydeco、 Country
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