Shidaiquとは
1920年代から1940年代の上海で栄えた、中国語による最初期のポピュラー音楽。中国の伝統的な5声音階による旋律を、西洋のジャズバンドの伴奏に乗せる混ぜ合わせがいちばんの特徴になる。伴奏編成はサックス、トランペット、クラリネット、
1920年代から1940年代の上海で栄えた、中国語による最初期のポピュラー音楽。中国の伝統的な5声音階による旋律を、西洋のジャズバンドの伴奏に乗せる混ぜ合わせがいちばんの特徴になる。伴奏編成はサックス、トランペット、クラリネット、ピアノ、ドラムセット、コントラバスといったダンスバンドの楽器が基本で、民族楽器を加えた例もある。リズムはフォックストロット、タンゴ、ルンバ、ワルツなど当時の社交ダンスの型をそのまま用い、テンポは踊りやすい100〜130BPM程度。歌い方は西洋的な発声ではなく、高く子どものような声(「小妹妹」唱法)が広まった。京劇の音色の影響も指摘されるが、歌手により声質は多様で、低音の白光は「低音歌后」、鼻声の吳鶯音は「鼻音歌后」と呼ばれた。当時は軟らかく甘い声として好まれた。歌詞は北京語(国語)で書かれ、恋愛、別離、夜の街、月といった情景を扱う。踊る場としてのキャバレーやダンスホール、そして映画の劇中歌という二つの経路で流通し、多くの歌手が同時に映画女優でもあった点も、この音楽の性格を決めている。
成り立ち
1927年、音楽家で教育者でもあった黎錦暉が発表した「毛毛雨」(小ぬか雨)が、中国最初のポピュラー・ソングとされる。黎はもともと子ども向けの歌劇を書いていたが、明月歌舞団という一座を率いて上海の劇場や舞台で歌を売り、西洋の楽器編成と中国語の旋律を結びつけた。当時の上海は租界を抱えた国際都市で、外国人経営のダンスホールやキャバレーが並び、フィリピン人やロシア人の楽団が生演奏を行っていた。フランス資本で創業し、のちにEMI傘下となったレコード会社Pathéの上海支社(百代唱片)がこれらを録音して大量に売り、ラジオと映画がさらに広めた。1930年代後半には周璇が最大の人気を集める。彼女は幼少期に実の両親と生き別れ、6歳で上海の周家の養女となり、12歳ごろ(1932年頃)の上海の歌唱コンテストで2位になって「金嗓子」(黄金の喉)と呼ばれた。映画女優と歌手を兼ね、1937年の映画「馬路天使」の劇中歌「四季歌」「天涯歌女」で全国的なスターとなった。ほかに白虹、龔秋霞、姚莉、白光、そして日本人でありながら中国人歌手として売り出された李香蘭(山口淑子)、吳鶯音が並び、この7人は「七大歌星」と呼ばれた。だがこの音楽は激しい政治的な攻撃を受ける。左翼の音楽家からは、抗日の時代にふさわしくない退廃として「黄色歌曲」(みだらな歌)と非難され、1949年に中華人民共和国が成立すると非難が強まり、上海から香港へ移る動きが進み、1952年にはナイトクラブと流行音楽の制作が禁じられた。黎錦暉は文化大革命中の1967年に迫害を受けて死去している。制作の担い手と歌手の多くは香港へ移り、そこで国語時代曲として存続した。1950年代から1960年代の香港では葛蘭や靜婷が活動し、この系譜が1970年代以降の台湾・香港の中国語ポップス、すなわちマンドポップの出発点(原型)となる。1970年代に鄧麗君(テレサ・テン)が当時の名曲を次々に歌い直したことで、時代曲は懐かしい古典として中国語圏全体に定着した。中国本土でも1980年代以降に解禁され、いまでは近代上海の象徴として広く聴かれている。
代表曲
- 何日君再来(周璇)
- 甜蜜蜜(Teresa Teng)
- 天涯歌女 (周璇)
- 夜上海 (周璇)
- 夜来香 (李香蘭)
- 秋水伊人 (龚秋霞)
- 玫瑰玫瑰我爱你 (姚莉)
- 月圆花好 (周璇)
- 毛毛雨(Li Jinhui)
- 四季歌 (周璇)
- 蔷薇处处开 (朱逢博)
- 恋之火 (白光)
ルーツ(影響を受けたジャンル)
Jazz
影響を与えたジャンル
Mandopop
地図でShidaiquのルーツをたどるには、JavaScriptを有効にして 音楽ジャンルルーツ辞典 を開いてください。