Mandopop(マンドポップ)とは
北京語(マンダリン中国語)で歌われる、中華圏全域を市場とするポピュラー音楽。台湾・香港・中国大陸だけでなく、シンガポールやマレーシアの華人コミュニティでも幅広く聴かれている。とりわけバラードの人気が根強く、美しく歌い上げるメロディ
北京語(マンダリン中国語)で歌われる、中華圏全域を市場とするポピュラー音楽。台湾・香港・中国大陸だけでなく、シンガポールやマレーシアの華人コミュニティでも幅広く聴かれている。とりわけバラードの人気が根強く、美しく歌い上げるメロディーと感情に訴えかける歌詞が高く評価される傾向にある。テンポはゆったりから中速が主流だが、近年はK-POP的な洗練されたダンスポップや、欧米の最新トレンドを取り入れた楽曲も増えている。中華圏に暮らす10億人以上を潜在的なリスナーに持つ、世界最大級のポピュラー音楽市場の一つである。広東語で歌われる香港発の「カントポップ」とは言語も産業構造も異なるが、多くのアーティストが両方の言語で楽曲を発表しており、境界は流動的である。バラード中心の作りは、中華圏で広く普及したカラオケボックス「KTV」文化とも密接に結びついており、歌いやすく感情移入しやすい楽曲が市場で重視される傾向を後押ししている。
成り立ち
源流は1920〜30年代の上海にある。作曲家の黎錦暉が西洋のジャズやダンス音楽と中国の民間旋律を組み合わせた「時代曲」を作り出し、周璇や白光といった歌手が映画とともにこれを広めた。1949年の中華人民共和国成立後、大陸ではこの種の流行歌が退廃的な「黄色音楽」として断罪され、姚莉は1950年に香港へ移り、時代曲の伝統は香港に移って、1950年代から60年代後半に最盛期を迎えた。1950〜60年代の香港では姚莉や葛蘭が標準中国語による流行歌を継承し、台湾では日本曲に台湾語(閩南語)の歌詞を付けた翻案が盛んで、多くは演歌だった(標準中国語側は、上海の旧曲と香港のヒット曲が中心だった)。転機は1970年代の台湾である。国連からの脱退に象徴される国際的な孤立と政治的な閉塞の中で、大学生たちが自分たちの言葉で歌おうと唱えた校園民歌(キャンパスフォーク)運動が起こり、素朴なギター弾き語りの歌が広まった。同じ時期、鄧麗君(テレサ・テン)が柔らかな歌唱で華人圏全域の心をつかみ、その音源は複製テープとして大陸へ流れ込み、当局が禁じても止められない現象となった。1980年代には羅大佑が社会批評的な歌詞を持ち込み、作曲家・プロデューサーの李宗盛が数多くの歌手を育てた。1980年に創設された「滾石有聲出版社」を前身に、1986年に法人として設立された台北のレーベル滾石唱片(ロック・レコード)は、この時期の台湾ポップスの中核となる(創設年の数え方は資料によって異なる)。1990年代には、1996年にデビューした張惠妹や、1989年に広東語アルバムでデビューして1992年にブレイクし1994年以降は主に北京語で録音する王菲が、マンドポップで台頭し、大陸市場の開放とともに聴衆は爆発的に拡大した。2000年、台湾の周杰倫(ジェイ・チョウ)がデビューアルバム『Jay』を発表し、R&Bとヒップホップを土台にした作風で世代交代を起こす。のちに彼は、中国的な旋律と楽器を組み合わせた「中国風」を2000年代に確立していった。王力宏(1995年デビュー)、五月天(1999年デビュー、結成は1997年)、林俊傑(2003年デビュー)らが華人圏全域で活動し、2000年代半ばには、中国大陸の音楽の販売額が台湾を上回り(2005年は「デジタル音楽元年」とされる)、市場の重心は大陸へ移り始めた。政治的な発言をめぐって、張惠妹が2000年5月に、何韻詩(Denise Ho)が2014年に大陸市場から締め出されるなど、音楽と政治の緊張は現在も続いている。
代表曲
- 告白氣球 (Jay Chou)
- 小幸運 (Hebe Tien)
- 七里香 (Jay Chou)
- 可惜沒如果 (JJ Lin)
- 記得 (A-Mei)
- 月亮代表我的心 (Teresa Teng)
- 紅豆 (Faye Wong)
- 在水一方 (Teresa Teng)
- 稻香 (Jay Chou)
- 可愛女人 (Jay Chou)
- 止戰之殤 (Jay Chou)
- 當你 (Cyndi Wang)
ルーツ(影響を受けたジャンル)
Shidaiqu、 J-POP、 Soul、 K-POP
影響を与えたジャンル
J-POP、 K-POP、 Cantopop
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