Coladeira(コラデイラ)とは
カーボヴェルデの音楽の中で、モルナと対をなす軽快な様式である。同じ国の同じ楽器編成を用いながら、性格は正反対に設計されている。テンポは速めから中庸まで幅があり、2拍子で軽やかに進む。編成はアコースティック・ギター、カヴァキーニョ、
カーボヴェルデの音楽の中で、モルナと対をなす軽快な様式である。同じ国の同じ楽器編成を用いながら、性格は正反対に設計されている。テンポは速めから中庸まで幅があり、2拍子で軽やかに進む。編成はアコースティック・ギター、カヴァキーニョ、ベース、そして打楽器で、後年には管楽器や電子鍵盤が加わった。リズムの特徴は、2拍子、シンコペーション、ギターのマンザダ奏法である。この跳ねる感覚が、遅く沈むモルナとの決定的な違いになっている。和声は、最も伝統的な形では5度圏(cycle of fifths)に従う。旋律は短い音型の反復が多く、覚えやすく歌いやすい作りになっている。使われる言語はカーボヴェルデ・クレオール語である。歌詞の主題がこの様式の核心で、日常の出来事を諧謔と皮肉を交えて描く。近所の噂話、男女の駆け引き、政治家への当てこすり、社会の矛盾への冷やかしなどが、笑いを含んだ言い回しで歌われる。深刻な内容を軽い調子で扱うという姿勢が徹底しており、悲しみを正面から歌うモルナと役割を分担している。
成り立ち
成立は20世紀前半、カーボヴェルデのサン・ヴィセンテ島の港町ミンデロである。この港は大西洋航路の石炭補給地として栄え、各国の船が寄港していた。船員たちが持ち込んだブラジルのサンバやマルシャ、アルゼンチンのタンゴ、そしてアメリカのジャズが、既にこの島にあったモルナと出会う環境にあった。口承によれば、1930年代に作曲家Anton' Tchitch'が、意図的にモルナのテンポを速めたことが起源とされる。名称は、もともとcoláを歌いながら出歩く行為を指したとされる(「くっつく」を意味するcolaに由来するという説も流布している)。この音楽が担った社会的な役割は独特だった。ポルトガルの植民地支配下では、政治的な発言は厳しく制限されていた。そこで、表面上は他愛のない日常の歌を装いながら、比喩と当てこすりによって不満を表明するという手法が発達する。誰のことを歌っているかは島の住民には分かるが、当局には立証できないという構造である。植民地期、コラデイラの歌詞は暗号や二重の意味を用いて、ポルトガルの検閲を避けた。中心的な担い手としてはマヌエル・デ・ノヴァス(1938〜2009)がおり、カーボヴェルデで最も重要な詩人・作曲家の一人とされる。1975年の独立後、この音楽は自由に政治を語れるようになったが、皮肉を交えた作風は変わらなかった。1970〜80年代にはアンティル系(ズーク、コンパ)との融合が現れた。一部は colá-zouk などと呼ばれる。
代表曲
- Dança ma mi criola (Tito Paris)
- Clarice (Tito Paris)
- Carnaval de São Vicente (Cesária Évora)
- Nutridinha (Cesária Évora)
- Luz dum estrela (Cesária Évora)
- Nina (Tito Paris)
- Estrela Linda (Tito Paris)
- Mãe Querida (Tito Paris)
- Contam Bo Dor (Tito Paris)
- Day Amor (Tito Paris)
- V'ra Tchife (Bana)
- Talianinha (Bana)
- Capechona (Bana)
- Terra Longe (Titina)
ルーツ(影響を受けたジャンル)
Morna、 Fado、 Samba、 Afropop、 Funaná
影響を与えたジャンル
Morna、 Afropop、 Funaná
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