Electronic music(エレクトロニック・ミュージック)とは
電子音楽は、電子楽器やコンピュータ、テープ録音、ソフトウェアによって音を生成・加工する音楽の総体で、現代音楽とポピュラー音楽の双方を含む広大な領域である。音源は発振器やノイズ、録音素材から出発し、発振器で正弦波・のこぎり波・矩形波
電子音楽は、電子楽器やコンピュータ、テープ録音、ソフトウェアによって音を生成・加工する音楽の総体で、現代音楽とポピュラー音楽の双方を含む広大な領域である。音源は発振器やノイズ、録音素材から出発し、発振器で正弦波・のこぎり波・矩形波を作り、フィルターで高音域や低音域を削り落として音色を彫る。アナログ・シンセサイザーでは、音の立ち上がりと減衰をエンベロープで制御し、フィルターを自己発振させると鋭く鳴るレゾナンスがアシッド系サウンドの核となる。ベースには正弦波やのこぎり波を使った太い低音が敷かれ、クラブの大音量の音響システムでは超低域が体に響く。リズムはドラムマシンやサンプラーで構築され、毎分120拍から140拍前後の4つ打ち、シンコペーションを多用したブレイクビーツ、毎分150拍を超える高速な系譜まで幅広い。空間加工ではリバーブで広い残響を付け、ディレイで反復する尾を引き、テープ由来の揺れやノイズが温かみを加える。構成では重ねたパートを剥がして静める展開、フィルターを開けていくクライマックス、爆発的なドロップが場面ごとに使われる。声はクリーンなポップ歌唱から、ボコーダーや音程補正で機械化した声、歌声を排したインストゥルメンタルまで多様で、主題も愛や孤独から宇宙・機械・都市のイメージ、ダンスフロアの共同体感覚にまで及ぶ。同じ電子的な音源でも、テープ編集による具体音の音楽、鍵盤で旋律を弾くシンセポップ、即興的なジャム、徹底的に計算された構成主義的な作曲など、制作法の違いがそのまま聴感の違いになる点が、他の系統にはない大きな特徴である。
成り立ち
電子音楽の源流は19世紀末にまで遡る。1897年に米国の発明家サディウス・ケイヒルが特許を取得し、1906年に一般公開したテルハーモニウムは、トーンホイールで音を作る、最初の電気機械式の楽器とされる(純粋な電子楽器としては、1920年のテルミンが先に挙げられる)。1920年にはロシアのレフ・テルミンがテルミンを完成させ、1928年にはフランスのモーリス・マルトノがオンド・マルトノを発明し、1930年にはドイツのフリードリヒ・トラウトヴァインがトラウトニウムを設計した。トラウトニウムはテレフンケン社が1933〜35年に市販され(約200台)、オンド・マルトノは受注生産だった。ポール・ヒンデミットがトラウトニウムのための協奏的作品を発表した。現代的な電子音楽の出発点の一つは、1948年にパリでピエール・シェフェールが、列車の音など現実から録音した具体音をレコードやテープで編集して作ったミュージック・コンクレートである。その4年前の1944年、ハリム・エル・ダブがワイヤーレコーダーで街頭の音を録音した作品『The Expression of Zaar』(完成版は磁気テープとする記述もある)が先例とされる。ドイツのケルンでは、1951年10月に創設され、1953年5月に公式に開設された西ドイツ放送(WDR)の電子音楽スタジオで、スタジオの創設者は、Herbert Eimert(初代所長)、Robert Beyer、Werner Meyer-Epplerで、Meyer-Epplerの1949年の著書が理論的基盤だった。カールハインツ・シュトックハウゼンは1953年3月に加わってStudie I・II(1953・54)を制作し、ゴットフリート・ミヒャエル・ケーニッヒは1954年からスタジオで働いて技術助手を務めた。そこでは電子発振音だけを用いる狭義の電子音楽(エレクトロニッシュ・ムジーク)が追求された。シュトックハウゼンの『少年の歌』(録音された少年の声と電子音を統合した作品)や『コンタクテ』(電子音のみの版と、電子音にピアノと打楽器の生演奏を加えた版がある)は、狭義の電子音楽から、具体音や生演奏を取り込む方向への展開を示す作品である。米国では1952年にウラジーミル・ウサチェフスキーとオットー・ルーニングがテープ音楽の演奏会を開き、1957年にコロンビア大学に設置されたRCAマークII・シンセサイザーを擁するコロンビア・プリンストン電子音楽センターが、1958〜59年に整備された(設立年は資料で割れている)。ロンドンでは1958年にBBCラジオフォニック・ワークショップが設立され、デリア・ダービーシャーが1963年にロナルド・グレイナー作曲の『ドクター・フー』のテーマを制作した。日本でも1954年(資料により1955年)にNHK電子音楽スタジオが設立され、黛敏郎が初期の主要作品を制作し、諸井誠、武満徹、湯浅譲二、松平頼暁らがここで活動した。1966年にはシュトックハウゼンが来日し、NHKのスタジオで『テレムジーク』を制作した。1968年にウォルター・カーロスがモーグ・シンセサイザーでバッハを演奏した『Switched-On Bach』が発表されると、電子音は前衛の外へ広く出て行った。1974年には冨田勲がモーグでドビュッシーを演奏した『Snowflakes Are Dancing』を米国で発表した。西ドイツではクラウトロックと呼ばれる潮流の中で、カン、ノイ!、タンジェリン・ドリーム、ファウストらが電子音と反復するリズムを実験し、クラフトヴェルクが『Trans-Europe Express』『The Man-Machine』『Computer World』といった作品で機械的なサウンドを確立した。1978年に結成されたイエロー・マジック・オーケストラはテクノポップを日本国内に普及させ、1979年にはゲイリー・ニューマンやOMD、1981年にはデペッシュ・モードがシンセポップの先駆的作品を発表した。1980年にローランドのリズムマシンTR-808が発売されるとヒップホップやエレクトロで定着し、その影響がデトロイト・テクノなどにも及び、1981年発売のベース用シンセサイザーTB-303は、1987年にPhutureが『Acid Tracks』を発表したことでアシッドハウスの音色源となった。1983年にはMIDI規格1.0が確定し、機材同士を接続して一つの環境で制作できるようになった。1980年代以降、シカゴ・ハウス、デトロイト・テクノ、トランス、ドラムンベース、ダブステップ、IDMといった派生が枝を広げ、1990年代のレイブ文化を経て、デジタル・オーディオ・ワークステーション(DAW)は、Pro Toolsが1991年に登場するなど1990年代にパソコン上で広まり、2010年代にはポピュラー音楽、映像音楽、ゲーム音楽のほぼ全域で電子音楽の手法が標準となっている。
代表曲
- Pump Up the Jam (Technotronic)
- Snowflakes Are Dancing (Isao Tomita)
- Technopolis (Yellow Magic Orchestra)
- Video Killed the Radio Star (The Buggles)
- Popcorn (Hot Butter)
- Studie II (Karlheinz Stockhausen)
- Telemusik (Karlheinz Stockhausen)
- Imaginary Landscape No. 1 (John Cage)
- Blade Runner (End Titles) (Vangelis)
- Pump Up the Volume (M/A/R/R/S)
- Miami Vice Theme (Jan Hammer)
- Axel F (Harold Faltermeyer)
- The Model (Kraftwerk)
- Rydeen (Yellow Magic Orchestra)
- Around the World (La La La La La) (ATC)
- Kernkraft 400 (Zombie Nation)
- Groove Is in the Heart (Deee-Lite)
- Sadeness Part I (Enigma)
- Porcelain (Moby)
- Infinity 2008 (Guru Josh Project)
- Now You're Gone (Basshunter)
- Cry For You (September)
ルーツ(影響を受けたジャンル)
Musique Concrète、 Experimental Electronic、 Krautrock
影響を与えたジャンル
Experimental Electronic、 Krautrock、 Synth Pop、 Techno、 Ambient、 Electro、 Hip Hop、 Intelligent Dance Music
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